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●浅野 忠 昭和17年生まれ 64歳

浅野忠

64歳 父が会社を興した時から、活躍してくれている大黒柱。
この道40年の大ベテランです。
仕事のきめ細かさはまさに職人気質。
しくじったときは怖いが、後に引きずらない。
笑顔が魅力的な愛称は・・・「熊さん」

昭和33年、中学校を卒業するとすぐに、茨城県@@村から東京へやってきました。

当時は東京タワーが10mくらいしか作られていなかったそうです。

初めは自動車部品の旋盤工として働いていましたが、
先に上京していたお兄さんが自動車解体の会社で働いているのをみて、
「自分も車に乗れたら楽しそうだ」という気持ちで‘この道に入る’決意をしました。

(当時はまだ、庶民にはなかなか手が届かないあこがれでしたからね)

「就職」という言葉を使わず「この道に入る」という表現を使うところにも
職人気質を感じさせてくれます。

当時の解体屋さんはどんな感じで仕事していたのか伺ったところ、
大村崑が出演していた「番頭はんと丁稚どん」の生活そのものだったそうです。
(当時人気のあったテレビ番組だそうです。勿論、私も知りません。。。)

当時は住み込み生活でした。
朝は6時前に起きないと怒鳴られます。
起床後はすぐに掃除を始め、朝食を済ませたらすぐに仕事開始。
お昼休みも今のように1時間はもらえず、食事を食べたらすぐ仕事再開です。

勿論、仕事中は息を抜けません。
ボヤボヤしていると金槌が飛んできたそうです。(怖)

夜は社長さんの家族と一緒に夕食を取ります。

寝床は、少し離れた場所にあったのですが、
夜9時までは寝床に行かせてもらえません。

夜遊びするといけないということで、
夜9時までは社長さんの家で、テレビや新聞を見て時間を潰さなくてはいけませんでした。

24時間の監視されている感覚があったようです。

休みは第1・第3の日曜日のみ。その日曜日も急な仕事が入ると
休日返上で仕事をしなくてはなりません。

戦後の経済復興は、このような方々によって支えられていたんですね。

自動車解体の仕事は油を扱うため、どうしても服が汚れてしまいます。
当時はまだ洗濯機が無く、汚れた服はたらいと洗濯板を使っていたため、
冬はとても寒かったそうです。

その後昭和50年代に独立し、6年間は自営をしていましたが、
父の依頼で40代半ばになって弊社に来てくれました。

私(小宮山)が父の会社に入社したのが1998年。
まずは現場の仕事を覚えるため、浅野さんの下で仕事をしたのですが。

厳しかった・・・

昔のテレビドラマに出てくるような職人と弟子の関係といったらいいのでしょうか。
よく怒鳴られました。そのストレスが溜まって何日か会社を休んだこともありました。

ただ、浅野さんは他人だけでなく、自分自身にも厳しい方なので怒鳴られても説得力がありました。
仕事に対する責任感のとても強い方です。(でも本当に厳しかったです。。。)

新しいスタッフが入る時に、「浅野さんが怖いから辞めます」なんて言われたらどうしようなどと、
気を揉んだこともありました。

数年前に心臓の弁を交換する手術を行ない、
1週間近く意識がはっきりしない状態がありました。
今でも多少の後遺症が残っていますが、
元気に活躍されています。

雰囲気も丸くなられましたよ。

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